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ゲームCGを学べる名古屋の専門学校 名古屋工学院専門学校の教員によるブログ。 学校のことからゲーム開発の裏側まで、幅広く書きます。 ゲーム好きには読む価値あり!
2024 . 05
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    Image1.jpgかねてから計画していたゲームリパブリック社長の

    岡本吉起さんの講演会が行われました。

    内容や雰囲気は本校の公式ページ(http://www.denpa.ac.jp/)を

    見てもらうとして、私からは、ちょっとした裏話を。

    私自身も数年前に社長の講演を聞いていました。

    その時に、パワフルな印象を受け、チャンスがあれば、

    本校でも講演をしていただけないかと、ずーっと思っていました。

    多くの方の協力を得て今回の講演に繋がったわけですが、

    在校生の諸君にも、

    自分の将来像がチョッと見えてきたのではないかと思ったりしました。


    当日、お預かりしたプレゼン資料を見てびっくり!

    100枚以上の資料を用意していただき、

    時間内に全部終わるのかなと、どきどきしてしまいました。

    普通に話をしても、100枚のプレゼンだと、

    最短でも2時間以上はかかるだろうと思っていました。

    やはり2時間かかっても終わりませんでした。

    でも、熱いメッセージはしっかりと伝わってきました。

    在校生諸君もしっかりと受け止めれたかな。


    無事終了して、ほっと一息です。

    とりあえず、今年一番の仕事が終わった感じです。

     

    追記:

    他にも「お食事中の話」とか「行き帰りの車の中で」とか

    「先生方とのミーティング」とかいろいろなことがありました。

    機会があったらまた話ましょう。

    (禰宜氏)


    岡本吉起氏のプロフィール
    1981年にコナミにイラストレーターとして入社。
    出世作となるアーケードゲーム『タイムパイロット』は本人の談によれば、当時の上司の「つまらない企画」を開発するフリをしながら完全に独断で作り上げたものだという。
    後戻りできない段階でようやく上司に披露して大いに怒りを買うが、そのまま発売したところ記録的な大人気を呼び、上司の態度を一変させた。
    他に『ジャイラス』等を開発。後に藤原得郎、プログラマーのレッド有馬らと共に創業間もないカプコンに入社。
    当時、東京都新宿区歌舞伎町の松宝ビルに入居していた東京開発室の責任者として、人材採用から開発までを一手に担う。
    この時期に採用した人材に、後に『ストリートファイター』等のキャラクターデザインで有名になる安田朗がいる。
    その後、東京開発室の閉鎖とともにカプコン大阪本社に引き戻され、第三開発室の責任者となり、『エグゼドエグゼス』や『ソンソン』『1942』『ガンスモーク』『サイドアームズ』『麻雀学園』などのディレクションを担当するが、『ロストワールド』を最後に開発現場を引退。
    その後は作品の広報担当者としてその手腕を発揮した。
    1996年、同社取締役開発本部長に就任。
    1997年にはゲームシナリオの開発会社であるフラグシップを設立、代表取締役社長を兼任する。
    2001年にはカプコンの専務取締役に就任。
    2003年にカプコンを退社し、ゲームリパブリックを設立。
    プレイステーション2用ソフト『GENJI』とXbox360用ソフト『エブリパーティ』などを製作した。


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