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ゲームCGを学べる名古屋の専門学校 名古屋工学院専門学校の教員によるブログ。 学校のことからゲーム開発の裏側まで、幅広く書きます。 ゲーム好きには読む価値あり!
2024 . 05
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    子供の頃、旅客機に脱出用のパラシュートがついてないことを知って、
    ショックを受けたことがあります。
    「じゃあ、墜落するとき、どうするんだろう?」
    思っただけで特にどこかに質問したわけではないのですが、
    もし航空会社に電話したとしたら、回答はこんなところでしょう。
    「飛行機はめったに墜落しないから、だいじょうぶだよ」
    でも、これは実際には答えていないですよね。
    さらにこう続かないと、誠実な回答とはいえません。
    「もし落ちたら? いや、それはね、あきらめるしかないんだよ。
    旅客機に脱出装置をつけると、とてもお金がかかってしまうからね。
    え、人の命よりも、お金の方が大事なのかって?
    まあ、金額によってはそういうことになるかな」
    質問への回答としては誠実だけど、
    もし航空会社の広報がブログに書いたら、炎上しそうな話です。


    最近とある本を見つけ、語られている内容に感心しました。
    その名も、『人でなしの経済理論』(H.ウィンター著、バジリコ刊)。
    何かを追求すると別の何かを犠牲にしなければならない、
    こういう状態を「トレードオフ」といいます。
    この本で語られているのは、社会問題を取り上げるとき、
    経済学ではどのようにトレードオフの関係を見極めるのかということ。
    冒頭、社会政策に直結した問題を経済学の視点から熱く語った結果
    実の母親に「あんたは鬼だわ!」と言われてしまった著者の経験が語られます。
    そして、医療機関に低所得層受診者への拒否権を与えることとか、
    臓器売買や喫煙のような社会道徳として論じられる問題、
    さらには自動車の致命的設計ミスについて
    何人以上の死者が予想される場合に是正を実施するのが効率的かといったことなど、
    “血も涙もない”シミュレーションが紹介されるのです。

    私たちは何かを強調しようとして、つい「絶対に」なんて言ってしまいます。
    例えば、「人命の価値は絶対です」とか。
    でも、実際にはお金に換算しているわけです。
    もし旅客機への脱出ポッドの装備が義務づけられたら、
    ジャンボジェットでも数十人ぐらいしか乗れない代物になってしまうでしょうし、
    機械的に格段に複雑になるはず。
    そうなれば、航空運賃なんて今の何十倍もしてしまうわけで、
    実は「落ちる可能性」と「安価さ」を他ならぬ自分たち自身が取引している。
    結局、「絶対」なんて言葉は、しょせんは修辞です。
    なのにそのことを忘れて、本当の目標のように論じてしまうことがあります。
    でもそんな理解からは、物事は一歩も進みません。
    経済学では、道義的な善悪とは無関係に、客観的にトレードオフを見極めます。
    それも、概念と概念を対置的にぶつけるのではなく、
    数値に置き換えて「どの選択肢が利益を最大化するか」を導くのです。
    部外者の耳には不道徳で冷酷に見えるものの、
    先に結論ありきの議論では実現できない、現実の効果をもたらすことができます。
    多分に偽悪的なタイトル ―実のところ邦題で、原題はもっとシンプルです― も、
    ある種のエスプリだといえるでしょう。


    ゲームデザイナーの仕事も、トレードオフを中心としています。
    まず、工学一般のテーマとして
    「安い、早い、うまい」の3つを成り立たせることは不可能で、
    このどれとどれを選ぶのかをデザイナーは選ばなくてはなりません。
    そして、ゲーム内容もそうです。
    格闘ゲームの細かさでRPGを作ったら、
    クリエイターとプレイヤーの両方にとって、
    果てしないゲームになってしまうでしょう。

    分野的には、やはりシミュレーションがいちばん密接です。
    かつて『卒業』という美少女育成ゲームがありました。
    内容は“女子校の先生になって、1年間かけて生徒を育てる”というもの。
    どんな教育をするのかで生徒の卒業後の進路が決まり、
    マルチエンディングです。
    このクラス、なんと5人しかいません。
    でも、40人いたら?
    同じだけの分岐を作ったら必要なデータが膨大になってしまいますし、
    同じデータ量で済ませると各自の進路がほとんど固定になってしまうでしょう。
    そして、クリエイター以前に、プレイヤーが飽きてしまうはず。
    結局どこかでトレードオフを見極める必要があって、
    生徒の人数よりは選択肢の豊かさの方を、『卒業』のデザイナーは選んだのです。


    このように地道で現実的なゲーム屋的トレードオフですが、
    私としては、経済学者同様のエスプリも追求したいと思っています。
    ゲームにはシステムをシステムのままで理解させられるという効果があり、
    これを活用すると、言葉にすると誤解を招きがちな事実を
    自然な形で主張できるということになるのです。
    例えば学校の現場が問題視されるとき、
    「教師は全ての生徒に絶対の愛情を注がなければならない」
    なんてことを真顔で言う人がいます。
    もし、生徒40人を相手にしなければならない“先生シミュレーション”があったら、
    そんな言葉がただの修辞に過ぎないことも、自然と解るはず。

    ゲーム屋としてあとどのくらいの作品に参加できるのか解りませんが、
    いつかはこうした“問題作”を手がけていきたいものと思っています。


    (傭兵隊長)

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