十代の終わり頃、無性に東京に憧れていました。
やむをえず名古屋の大学に通っていたんですが、
その自分の境遇がとにかく口惜しくて、
名鉄から、併走する新幹線をみるたび、
“あれに乗れば東京に行けるのに”……と歯がみしていました。
結局名古屋の大学は2年でやめ、念願かなって上京したのですが、
そのときの高揚感は、とても言葉では言い表せません。
999に乗り込んだ鉄郎少年のようなものかも知れませんね。
そんな「新幹線で東京へ」ですが、
今では学会や仕事の打ち合わせなどで、二ヶ月に1度はやっています。
こうなると、ただの日常業務。
別に浮かれる事もなく、
黙々と本を読んだりパソコン叩いたりして90分ほどを過ごしています。
それでも、乗客のみんながそんな人ばかりって訳でもないですね。
はしゃいでいる人とか、今イチ落ち着かない人とか、
“非日常”な人をみるたびに、
昔の自分が“泣きたいくらいに憧れてた”ことを思い出したりするのです。
では、なぜそんなに東京に憧れていたんでしょうか。
そこには「世界の何分の一か」があったということ。
人類の文化なり科学なりは、常時それなりに進歩していくわけですが、
その現場は人類社会に均等に与えられているわけではありません。
僅かな数の先進国だけに与えられた特権です。
そして先進国においても、国内にあまねく与えられているわけではないのです。
地方にいたのでは、自分と関係ないところで世界は変わって行ってしまう。
自身が自己実現するためには、その現場に居合わせることが、
最低条件だった……そんな思いがあったのです。
こう考えてみると、今の若い子たちが「別に……」な理由もわかりますね。
ひとつには、東京にいなくても進歩の現場に居合わせられるということ。
これはネットのおかげでしょう。
そしてもうひとつ。
日本全体の落ち込みのせいで、
東京といえども「世界の何分の一」なんて言えなくなってるということ。
私のビジネスはしょせんは国内限定で、
中部空港から海外へ……なんてことはありません。
でも、グローバル時代のゲーム業界へ乗り出していく以上、
学生諸君にはそうあって欲しいと思います。
そして、君たちにとっての銀河鉄道は、
新幹線ではなくボーイング製なのです。
行き先は、LAなのか上海なのかはしりませんけど。
(傭兵隊長)