ゲーム機やPCの中で実現されているゲームの世界は、グラフィッカーが用意したモデルやCGを、プランナーが考えた設定をもとに、プログラマーがその世界のルールを記述し実現されています。
こんな表現をすると、夢も希望もなくなってしまいますが、ゲームの世界の実情は、すべてメモリに記録された数値情報にすぎず、一生懸命頑張って取った「1UP」のアイテムも、記録された数値が+1されるだけなのです。しかし、夢と楽しさを提供するゲームじゃないと、ゲームは全く売れません。プログラマーは、数値情報を夢と希望があふれる「画面」に変換するため、プログラムで作り上げていきます。
先日、ゲームプログラムの授業で、ユーザーから見たゲームの世界とプログラマーが見るゲームの世界について、お話させていただく事がありました。
・プログラマーはプログラムとデータを通じてゲームを見ているが、ユーザーは「画面と音とパッドの振動」ぐらいしか、ゲームの世界を知る手段がない。
・人間は8割の情報を視覚に頼っているから、ゲームに重要な要素は「見た目」である。しかし、環境や雰囲気は音から提供されるから、音響は軽視してはいけない。
・ゲームの世界はユーザーの脳内で作られているから、その世界を作り上げるイメージを画面を通じて提供するプログラムを作らなければいけない。
というような内容のお話しをさせていただいたのですが、併せてこんなことも伝えました。
「ユーザーは脳内でゲームの世界を勝手に都合よく作り上げてくれる。」
変な話ですが、実際にゲームプレイ中は誰でも行っていくことで、移動するキャラクターの後ろに白い線を合成して、「シュィーーーン」の効果音を追加するだけで、DSの画面を3センチぐらい移動したキャラクターが高速移動したように感じ取ってしまいます。超美麗なCGを提供するPS3や360級のゲームにおいても、その再現された映像や音響は、再生しているテレビやモニターの性能を超える事はなく、ユーザーの脳内変換を利用していることとなります。
つまり、ゲームの世界は、プログラマーが作り上げた摂理のもと、クリエイターが作り上げたグラフィックやサウンドをユーザーが感じ取ることによって実現されています。もちろん、これは考え方の1つですが、ユーザーが感じ取る世界感を効果的に誘導するため、心理学まで利用し多くの時間とコストが費やされ、ゲームや映画は制作されているそうです。
FPSで撃たれた時は頭を振り身体をよじらせ、一生懸命に弾を避けますが、そのプレイ中の身体のひねり具合が、費やされたコストと時間に比例しているかもしれません。
追伸;
25年ほどのPCゲームは文字が主体で作られており、僅かばかりのグラフィックに「@」がモンスターで「!」がミサイルという風な感じで作られていました。それでも、十分怖さを味わいながらプレイヤーを操作してい増した。脳内変換はすごい力を持っています。