自宅近くにバンドの練習スタジオを発見したので訪れてみました。機材を立ち上げてビックリ。
ベースアンプの電源を入れると「ブ~ン!」。ミキサーの電源を入れても「ブ~ン!」。
ガムランの生音を録音しようとするとアナログ時計が「カチッコチッ!」
練習用のスタジオとはいえ、音作りをする環境でこれはないよと閉口してしまいました。
ところで、人は大きい音だと細部まで聴き込むことはしませんが、小さい音だと耳を傾けます。
又、視覚情報のみで音が無ければ、体験から音をイメージして作り上げます。人間には、無い
ものを補おうとする閉合の原理というものが働くわけですね。ハリウッド映画のように情報量
が多いと鑑賞者にとって理解は容易です。そのおかげでポップコーンを食べることができます。
小津安二郎作品やヌーヴェルヴァーグの映画のように不要なものをなるべく取り除いた表現では、
鑑賞者の姿勢に積極性が現れ、自らイメージを膨らませるでしょう。
ワタシは以前、実験映画を観ていて何作かはウトウトとしていたのですが、最後に上映された
ジョセフ・コーネル(画家)の無声映画の実験作品が始まると頭が冴え渡り、真剣に見入って
しまったことが今でも忘れられません。
昔ハマったMac用のゲームで、「3D cannon」?とかいうのがありました。極めてローポリで作
られたでこぼこの山の向こう側の敵の大砲目がけて、角度とパワーを設定してただ打ち合うだ
けという、とてもシンプルなゲームです。四角いステージ上に無彩色の山がつらなり、敵と自
分が青と赤の大砲に区別されます。相手の大砲はほとんどの場合見えません。マップで確認し
ます。時間制限もBGMもなく、音も発砲時の地味な「ドン!」と、着弾したときに地味な
「ポトッ!」という音がするだけでした。背景色も黒でベタというシチュエーションがとても
神秘的で抽象的な印象を与えていました。先に命中させた方が勝ちなのですが、1playerの
設定で遊ぶ時のコンピュータの攻め方に血も涙もありすぎて、そのわざと外しながらもじわ
じわと角度を絞り込んでくる様子が妙に人間臭くて楽しめました。
情報量の多いこの時代だからこそ、情報を与えすぎない工夫から体験者の積極性を導きだす
おもしろい作品制作を心がけたいですね。(ニ)
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