最近、とある買い物をしました。
ただ、そこにいたるまでの決断の鈍さが、
自分でも嫌になってしまいました。
ほぼ買う気になって、購入条件とかチェックしたりしているのに、
どうしても決められない。
わざわざ店まで行きながら決断できずに帰る、
そんなことを実際に買うまでの間に何度も繰り返してしまったのです。
これって、“おとな力”の負の要素だなって、思いましたよ。
二十歳前後の頃はもっと無謀で、バイクだってパソコンだってシンセだって、
「えーい、男の子!」なんて叫びながら決断してた。
今よりも圧倒的にビンボーだったのにね。
決断はしばしば裏切られます。
「これは行ける!」って飛びついたのに
結局だめになって投資分丸損……なんてことが起きるわけです。
『PCエンジンDuo』だって『ドリームキャスト』だって、
買った時点では明るい未来を信じてました。
*買わなかったけど、『X68000』とか『EDベータ』とか。
*さらには『STRATA』や『BeOS』なんかもね。
新しいものは、確率的には失敗する場合が多いです。
大人が決断力が鈍い理由は、大人になる過程で
何度もそうした目にあっているからかもしれません。
こういう失敗を防ぐ確実な方法は「チャレンジしない」ということ。
でも、それがもたらす「失敗なし」は、誇れることなんでしょうか?
新型ゲーム機は、プレイヤーとしても悩みの種ですが、
会社として取り組む場合だと、死活問題になってきます。
ただ、常に消極策をとっていると時代に取り残されてしまう。
実際、初期にプレステに参入した会社は、相当の苦労をしました。
でも、完全に普及してから参入した会社では得ようもない、
大きなアドバンテージを得られたのです。
単に決断が付かなかっただけの出遅れた会社の社長が
「他社の成功は結果論だ。オレの判断は正しかった」なんて言っても、
しょせんはただの強がりに過ぎないでしょう。
「死なない人間」は「生きてない人間」だけです。
「失敗しない会社」なんて、しょせんそんなもの。
成功の可能性を放棄した代償に過ぎず、誇れるはずもありません。
とはいえ、多くの人の生活がかかっている以上、
若者的な猪突猛進を繰り返すわけにもいきませんね。
「失敗しても致命傷にならない会社」を目指すさなければ。
そして、もう一つ。
「失敗したらそれを直視できる会社」にすることもだいじでしょう。
先のような社長の強がりに誰もつっこみ入れられないのだとしたら、
その会社はやはり死につつある会社だと思います。
“会社”を強調しましたが、実のところ、学校も同じ。
「どの機種(環境)をターゲットにどんな教育をするのか」という形で、
ゲーム会社と同じような決断を常に迫られています。
一貫してDOS教育してるような学校なら、失敗もありません。
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……なんてあれこれは、
決断力が鈍っているからこそ気づいたわけで、
若かったら気づく前に走り出してましたね。
おとな力は、使い方によっては「大いなる叡智」となるのかも。
で、こんなあれこれを考えさせてくれた“買い物”って?
それはまた別の機会に。
(傭兵隊長)