“デッサン室だより Mar23,2011”号
現代の教育は、生徒が何かに疑問を持つ前に知識を与えられる。まだなん
にも不思議に思っていないことに対して教えられても面白くないわけである。
次第に、“疑問に思う姿勢”自体が薄れていく。そして20代となった学生は与
えられた課題には立ち向かうが、何をやってもよいとなると呆然と立ち尽くす。
ジャッキー・チェンのカンフー映画などに見られる師匠と弟子の関係で行わ
れるのは教えない教育である。師匠のように強くかっこ良くなりたい。しかし、
師匠はおよそ武術とは関係なさそうな皿洗いや庭掃除や拭き掃除ばかりさせ、
肝心のそれらしい“型”を教えない。しまいに弟子は師匠に教えてくれとせが
むようになる。そこで師匠はようやく型の1つを教える。すると弟子は乾いた
スポンジのようにどんどん吸収する。今まで関係ないと思っていた雑事で鍛え
られた筋力がそれを支える。そして積極性が育まれる。
今回の震災でクラスメイトがしきりに自分に出来ることは何かを考え、節電
を実行したり、その工夫を話しあったりしているのを聞いて、何もしようとしな
かった学生が愕然とし、自分を恥じていた。人の身になって考えることが出来
るか否かは今後に大きく影響する。ワタシは時々風呂の電気を消し( アロマ
キャンドルを灯すためではない ) 真っ暗な中で目を閉じ、普段行なっている
入浴の動作ができるか試すことがある。彼にも勧めておいたのだが、意外に
なんとかできるものである。しかしそれは風呂場という狭い空間で、日々使用
して何がどこにあるかを知っているからできるのである。視覚障害の方達が
普段どれだけ神経を使って日々の生活を送っているか、震災で全てがメチャ
クチャになった上に、電気がない状態とはどれだけ大変か察するに余りある。
一日も早く、一人でも多くの方が救済され、安心した日常を取り戻すことを
願ってやまない。(ニ)